山に行けないなら本を読めばいいじゃない、原点にして頂点!深田久弥著「日本百名山」
こんにちは。まつみです
みなさんいかがお過ごしですか
今年の8月、9月は雨が多いんですって...
しかも週末攻め...☔やめていただきたいですねー
長雨は本を読んで凌ごう!ということでまたまた読書をしました
読んだ本は
深田久弥「日本百名山」
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言わずもがなですが、日本百名山を制覇するって登山やっていれば夢ですよねー。その日本百名山を決めたのが著者の深田久弥です。
知っているひとがほとんどと思いますので本の内容については簡単に、今回の記事では作者の深田久弥についてを中心に書いていこうかと思います。
最後まで読んでいただけましたら本当に嬉しいです!!!
誰かのどこかの暇潰しになれますように
日本百名山とは
そもそも日本百名山とは、
文筆家であり登山家の深田久弥が日本の各地の山のなかから自ら定めた基準で100座を選んだものです。もともとは山岳雑誌『山と高原』で毎月2座ずつ紹介するという連載をしており、50回連載し...つまり、100座紹介したところで新潮社より単行本として出版されました。それが1964年(昭和39年)、深田久弥が61歳のときでした。翌年には第16回読売文学賞を受賞し深田久弥は文筆家として成功をおさめました。
日本百名山は登山をする前から存在は知っていましたが、その時は深田久弥も知らなければ、日本百名山という本があるとも知らず、「登山家の人が投票かなんかで日本の素敵な山を100個決めたのかな...」などと、少年ジャンプのキャラクター人気投票くらいに思っていたのでした(もちろん山に興味もありませんでしたし)笑
それがたった1人の登山家が決めたもの、そしてもともとはそれをまとめた本であると知った時には衝撃を受けたのを覚えています!たった1人の決めた山をなぜみんなそんなにも追いかけるのか...(それってあなたの感想ですよね?と思わず言いたくなってしまった)
しかしながら、深田久弥はきちんと自分なりの選定基準を設け、しっかりと自分の足で登頂し、吟味したうえで100座を選んでいます。「この山なんか好き~」で選んでいるわけではないのです。
深田久弥の選定基準
山の品格
深田久弥曰はく、人に「人格」があるように山には「山格」があるといいます。厳しさ、強さ、美しさ、いろいろと総合して誰が見ても感嘆するようなものでなければならないとしています
山の歴史
昔から人間と深い関わりを持った山は山霊がこもり、名山の資格があるといいます
山の個性
芸術品のように個性顕著な山は注目すべきだといいます。その山にしかない個性があることを重要視していたみたいです
上記の3つ以外に付加条件として「1500メートルを越える山」ということを挙げていたんですけど、これには例外があって2座だけこれを守れていない山があります。それが筑波山と開聞岳。なせこれが1500メートルを満たないのに選ばれたかというとおおきな理由も本の中に書かれております。是非読んでみてほしいです
深田久弥という人物
少年時代からあらゆる山に登ってきた深田久弥ですが、日本の山のなかから100座を選ぼうという構想は戦前から持っていたと言います。100座選ぶためにはその倍はのぼらないといけない、と深田は日本中あらゆる山に登りました。自分の登ったことある山の中から選んだのではなく、なるべく日本の山を網羅した上で選ぼうとしたのです。しかも、選んだ100座は必ず頂上を踏んだ山、に限ったそうです。その証拠に山頂に行けなかった山、石狩岳やぺテガリは除外しています。
深田はこう語っています。
山に対する愛情を物凄く感じる一文。数えきれないほど登った山の中から100に絞らなければならないということは、逆に大変だったんだろうなと思います。
深田久弥凄過ぎる
100座選ぶために倍登らなければ…と言っていた深田ですが、深田久弥が登山を行っていた時代には登山道が未開拓な山もたくさんありました。
今ではきちんと地図に載っているし、このあたりは裏丹沢と言われて多くの人に親しまれていますよね。
それ以外にも、現代だったら日帰り出来る山でも何日もかけてたどり着いたり…山中で野営したり…現地の人に道案内してもらったり…と様々な苦労があったようです。しかも絶対今より装備も技術が進んでいないでしょうからそこもどうしたのでしょうね…気になるところです。この頃はゴアテックスなんてないでしょうし…。深田久弥…凄すぎる…。
私なりオススメポイント3つ
ポイント①
文章の美しさ
山の景色や登った喜びを表現する言葉が美しいのです。
例えば、
自分が見える以上に大きく切り取った視野で描かれる言葉は、まるで目の前に本当に山の景色が広がっているみたいです!言葉は少し難しいのですが、それを踏まえても美しいです。
ポイント➁
気軽に読める短さ
1座につき3〜4ページほどなのでサクサク読めます。自分の読みたいところから読むことが出来ますし、通勤時間の隙間にちょこっと読むってことも出来ます。私も実際通勤時間を使って読みました!
ポイント③
自分の登った山の項目を読む楽しさ
住んでいる部屋があまり広くないので、なるべく電子書籍で買うようにしているのですが、「日本百名山」(新潮社)は文庫本で買いました。その理由はこれです。
百名山の位置が記された日本列島の図が載っているのです。
登山初心者なので登ったことのある山はかなり少ないですが、自分が登ったことのある山にマーカーを引いて「自分はここに登ったんだなぁ...ぐへへ」と眺めて楽しむことが出来ます。また、自分が登った山の項目を読むと、自分も景色を知っている分、作者の心情を理解しながら読むことが出来ます。もしくはまるで今自分がその山にいるような映像として想像しながら読んだり出来ます。私は登ったことのある山がまだ少ない状態で読破しましたけど、登ったことがあるほうがこの本は楽しめると私は思います。
まとめ
これを買ったのは実はだいぶ前で、その頃は
「登った山じゃないと読まないぞ!」と豪語していました!(笑)百名山制覇イコール読了だと。
今はなかなか自由に出かけられる世の中ではないので、自分が見れない景色を誰かの目線で描いたものを通して見たい!という思いで読み切りました。結果読んで良かった作品でした。
私は登山を始めて2年目なのですが、コロナ禍なこともありなかなか行きたい山に行けていない状況であります。なので年数の割に山に登れた数は少ないです💧SⅯSを見ると自分の行けなかった山に登っている人がいて、山頂で笑顔で写っている写真を見ると悲しい気持ちになったりしていました...今の世の中ではやりたい事をやれないという人は(種類は違えど、)多いのではないでしょうか。しかし深田久弥もやりたいことをやれない、そもそも山にも行けなかった、という日々があったようです。
『山と高原』で「日本百名山」を連載するかなり前、実は1940年に山岳雑誌『山小屋』で日本百名山の先駆けとなる連載をスタートしていました。深田37歳でした。しかし雑誌の廃刊により25座で連載は終了、時代は第二次世界大戦、深田も金沢で入隊し1944年(41歳)で青島から南京に輸送されてしまいました。1945年(42歳)、戦地で終戦を迎え俘虜となります。その後、1946年(43歳)で日本に帰って来ます。
その間どんな思いで過ごしていたのか探しても記述は見つからなかったのですが、登山は出来ない期間が3年ほどはあったのではないかなと思います。戦前思い描いていた日本の山から100座を選ぶという構想を実現出来ず、3年ほど登山出来ず、深田自身はどんな思いだったのでしょうか、、、
直接その思いを記した記述はありませんが、深田はあとがきでこう語っています。